現役ビジネスマンからの手紙(第3回):アメリカ留学【前編】

[コラム]現役ビジネスマンからの手紙<第3回>

Shinichi Tanaka
Shinichi Tanaka
photo by Tatsu Ozawa

アメリカ留学【前編】

あすなろニュースレターをお読みの皆様、こんにちは。田中伸一です。

第3回の今回は、アメリカのシアトル留学時代について、MBA(Master of Business Administration、経営学修士)の授業以外の生活面でのお話をさせて頂こうと思います。

シアトルはアメリカの北西部にある太平洋沿岸の港町で、温暖な気候と安全な環境がある、全米でも住みたい街のベスト5によく入る、暮らしやすい街です。特に日本人にとっては、神戸と姉妹都市で親日家が多いこともあり、とても住みやすく、日本食も比較的手に入りやすいです。また、1990年代以降は経済的にも大きく発展しており、マイクロソフト、アマゾンドットコム、スターバックスコーヒーなど、近年勃興して世界的な成功を収める企業も多い、とてもエネルギーにあふれた街でした。

さて、アメリカの新学期は9月から始まりますが、日本からの留学生は、英語を事前に身につけるため、7月下旬から始まる語学学校に入る人が多かったです。私もそれから参加すべく、University of Washington(以下UW附属の語学Programへの手続きをすませて、74日に日本を出発しました。この日付からして事前調査が出来ていない事が明らかですね(笑)。そう、74日はアメリカでは独立記念日の祝日で、学校も事務局もすべてお休み。空港から片言の英語でタクシーに乗って学校の事務局まで行くと、学校に人の気配がなく建物の扉が閉まっている。事情がわからず不安にさいなまれながら、とりあえず日が暮れそうなので、急きょ近くのホテルを人に聞きながら探し当てました(当時は、スマホはなく、携帯電話も持っていませんでした)。ホテルに行って説明を聞いて事態が飲み込めた時の脱力感。アホですね(笑)。

その後1カ月ほどは、Undergraduateの学生寮の一室を借りながら、後から来る妻との生活のための住居探しです。これが大変でした。当時のシアトルは、上記の企業のほかにも勢いのある企業が多くあり、人口が流入して町が大きくなっているところで、いたるところに新しいビルが建設されていました。当然、賃貸市場は売り手市場でオーナーが強い状態。審査は日本のような審査機関を通さずに、オーナーが独断で判断します。片言で必死に英語を話す、どこのだれかわからない日本人など全くお呼びでない。これが、企業の駐在員ですと、事情は違います。現地のスタッフが手配してくれる不動産屋が、日本人の好む地域で物件を探してくれます。しかし、企業とのつながりのない一学生はすべて自力です。現地の新聞を買い、そこのClassifiedと呼ばれる、いわゆる「売ります・買います・〇〇求む」のような広告を一つひとつ読み込んで、電話でアポをとって、現地に行って申込書を出す。その手順を自分で踏んでいきます。しかし、結果として10件以上断られました。そりゃー、オーナーも管理人も、きちっと英語が話せる借り手がよいですよねー。当時の私の英語力は、ゆっくり話してくれればなんとかわかる、片言ならメッチャ日本語なまりの英語は話せるが、突っ込まれると答えられない、その程度でした。多分、その原因が大きかったと思います。かなり凹んで無力感が満載でした(笑)。

しかし、ひょんな事から幸運が舞い込みました。アポで見に行った先に「さっき決まったばかりなの、ゴメンね」と断られた後、道路を挟んだ低層のアパートに「For Rent」の文字がありました。ダメ元で飛び込み、詳しく聞くと、予算も広さも良い感じ。へたくそな英語なりの熱意をもって、精いっぱいアピールしたところ、UWの学生という事でOKが出ました。やったー、神は我を見捨てていなかった!!

この時期は、生活のほとんどの時間が英語漬けで逆に日本語が退化しつつあったようで、当時日本の妻や実家にあてた手紙の日本語は、かなり変だったそうです(笑)。そんな中で、生の英語に触れて、印象に残った話を一つさせて頂きます。

Undergraduateの寮に入っていた頃の事です。広大な敷地にはサイクリングロードが整備されており、そこをお父さんと5歳ぐらいの小さな男の子がサイクリングしていました。お父さんが先に行きすぎて10メートルほど間が離れてしまい、男の子は半ベソに。多分日本語なら「パパ、ちょっと待ってよ‼」というような言葉が出てきそうな状況。その時に男の子の口から出てきた言葉に衝撃を受けました。

Hey, you Stop!!” というもの。一瞬「エッ!!」と思いましたが、その後気づきました。そうなのです、NativeからするとYouYou以外にはなく、日本人が勝手に「あなた」にしたり「貴殿」にしたりと日本人の繊細な感覚や人との距離感に合わせて変化させているだけで、そんなもの、Nativeの頭の中にはなく、思考も英語で行われている。この事実に「本当にそうなんだ~~っ」と、20年経った今でも覚えているほど印象に残ったシーンでした。 

印象に残っている事をもう一つ。私の長女はこのシアトルで生まれました。妻はUWの医学部の附属病院で出産したのですが、このUW病院もとてもきれいでした。また、産婦人科の診察も完全予約制で基本待ち時間はなく、少しだけ時間をつぶす待合室も広々としています。予約制のため医師も問診に時間をたっぷりかけてくれ、質問にも丁寧に答えてくれます。「サービス業」として自分を位置づけているのか、日本より低姿勢な感じを受けました。また、希望すれば通訳までつけてくれました。次女は日本で生まれたため、日本で都内の産婦人科にかかり、狭い待合室にお腹の大きい妊婦さんが寿司詰めで待っている姿を見て、逆カルチャーショックを受けました。

しかし、アメリカのこれらのサービスは、すべて保険に入っていることが前提です。日本のように皆保険(注)でないため、病院では、最初に「どこの保険に入っているか」を確認され、それがカバーされる範囲でしか診察はしてくれません。もちろん無保険なら、診察もしてくれません。ここは、恐ろしいほどの厳格さです。

日本では出産後、1週間近く入院させてくれ、お母さんの回復期間があります。アメリカの保険では、出産は病気でないため、出産後1泊すれば帰されます。そこまでしか保険がカバーされないので、これも厳密でした。帰される方は大変です(本当に)。そもそも、西洋人は母体の骨格が大きく、赤ちゃんの頭が小さいためか、お産は日本人よりはるかに軽いという事かもしれません。MBAの同級生で、破水に気づいて自分で車を運転して病院に行き、そのまま出産して、3日後にはMBAの授業に復帰している生徒もいました。日本では信じられないですね(笑)。

こんな感じで、授業の外でもいろいろな経験をさせてもらいましたが、学校の正規の授業は、英語の問題もあり、なかなか大変でした。これにつきましては次回お話しさせて頂きます。

執筆:田中伸一

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注: 皆保険 国民皆保険制度(こくみんかいほけんせいど)。「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法の理念を基に、生活保護法の適用者を除く全ての国民が医療保険の適用を受ける制度。

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