現役ビジネスマンからの手紙(第4回):アメリカ留学【後編】

[コラム]現役ビジネスマンからの手紙<第4回>

Shinichi Tanaka
Shinichi Tanaka
photo by Tatsu Ozawa

アメリカ留学【後編】

あすなろニュースレターをお読みの皆様、こんにちは。田中伸一です。

4回は、アメリカのシアトル留学時代の、MBAプログラムの内容やそこでの体験についてお話しさせて頂きます。

さて、MBA Master of Business Administration)という名前は、日本では「企業の幹部候補生になるための登竜門」というようなイメージがありますが、アメリカで体験したイメージは少し違います。現地でのMBAはいわば転職プログラムで、より自分の市場価値を上げて、マネージャーとして業務ができる知識・スキルを身につけ、良い会社に転職する事が目的です。そのため、2年生になる前から、それぞれのネットワークを駆使して、Job huntにとてもエネルギーを注いでいます。ですので、MBAを卒業したからといって別にスーパーマンになるわけではありません(笑)。

授業の中身は、まずは基礎的な科目として、財務会計(Financial Accounting)、管理会計(Managerial Accounting)、財務(Finance)、企業戦略(Corporate Strategy)、統計学(Statistics)、マーケティング、ミクロ経済学、マクロ経済学、などがあり、またソフトスキルとして、交渉術(Negotiation)、コミュニケーション術、プレゼンテーションなども学びます。その上で、それぞれの専攻に応じて、より専門的な内容を学びます。私は企業財務(Corporate Finance)を専攻して、財務ケーススタディや投資のポートフォリオ戦略(Portfolio Strategy)、オプション理論、などの授業をとりました。面白かったのは、コンサルティングの経験も積ませてくれ、実際の中小企業を訪問し、その会社の依頼にもとづいて、新製品のマーケティング戦略を立てたりしました。

さて、最大の問題はやはり英語でした。前回も触れましたが、点数はそこそこ取れていたものの、会話の練習はほとんどせずに渡米したため、メッチャ苦労しました。最初の半年は特に悲惨でした(笑)。まずヒアリングがダメ。Nativeのクラスメートが本気で話し出すとほぼついていけません。教授の話は、聞かせるために話しているので、それなりに聞き取れますが、それでも訛りの強い先生などは、お手上げです。どこが宿題だったのかもわからず、同じクラスの生徒に聞く始末です(笑)。多分、Nativeの学生からすると、「こんなに英語のできない人間が、なぜMasterのコースにいるんだ??」という感じだったと思います(笑)。

また、自己主張をしないとわかってもらえない文化なので、「黙っている わかっていない アホ」と捉えられがちです(かなり被害妄想かもしれませんが(笑))。「彼は、英語は出来ないから、そんなに話さないけど、理解しているし、良いヤツだよ」と、クラスやチームの中で認めてもらえるまでは、とても精神的にキツかったです。「言葉が出来ないって、こんなに惨めなんだ~~」と(笑)。同じ日本人の学生でも、アメリカで駐在経験のある方は、普通に会話しているのが、とても羨ましかったです。

Readingで課せられる分量も半端な量ではなく、90分の授業の準備でテキスト3040ページ、多い時には70ページを超える分量を読み込まないと、次の授業についていけません。もともと経済学や会計の知識がなかった私には、とても大変でしたが、英語のシャワーを浴び続けるのはとても良い経験になりました。

英語の苦労を愚痴のように(笑)書いてしまったので、Negativeな印象を与えてしまったかもしれませんが、MBAの勉強はとても楽しかったですし、その後の自分の人生に大きな変化をもたらしました。

一番良かったのは、一旦異なる価値観に没頭した生活を送れたことで、自分自身の価値観を見直し、自分が置かれている位置を、少しだけですが客観的・歴史的な視点で見られるようになった事です。ある意味、日本と自分自身を再発見する機会になりました。留学した頃は、バブル崩壊から10年ほど経っていたとはいえ、まだGDPGross Domestic Product、国内総生産)も中国に抜かれる前で、「日本もまた復活するかな!?」という雰囲気もありましたし、日本的経営にもまだ良いところはある、というような議論もありました。しかし、授業中の教授のコメントとして聞きましたが、株主よりも社員を尊び、社員を家族のように思う、これは日本だけではなく、アメリカでも1970年代には存在した考えだそうです。これはショックでした。この事から、終身雇用や年功序列は、経営の面から見た必然ではなく、人口ボーナス(経済発展により生活水準や医療水準が上がり、急激に生産人口が増加する時期)が日本で起こった時の名残で、近い将来維持できなくなるなあ、と漠然と実感していました。

小さなところで日本を再発見した例で言いますと、なんといっても、日本は食べ物がおいしい‼ 日本に帰国した頃は、居酒屋に行っても定食屋に行っても、何を食べてもおいしくて、本当に嬉しかったです(笑)。新鮮なものが簡単に口に入り、それが当たり前になっている事に感動しました。次に嬉しかったのは、お風呂です。湯船にたっぷりお湯を張って、どっぷりお湯につかり、一日の疲れを癒やす。シャワーしかなかったアメリカでの生活で、何度も懐かしく思った瞬間でした。また、楽しんではいたものの、やっぱり言葉の壁もあり、ずっと緊張があったようで、帰国に際して空港に降り立った時に、なんとも言えない安心感が湧いてきたのは、よく覚えています。

また、アメリカの文化自体からの学びもありました。当時のアメリカでは、異文化にはとても寛容で、Politically Correct(政治的に正しい)という態度、すなわちすべての人間に対して(少なくとも建前は)平等であろうという態度、また、そうあることが正しいという社会的な定義が強く感じられました。シアトルという安全な土地柄だったからかもしれませんが、これがアメリカの文化の根源のエネルギーのように感じられました。その分、本音と建前の落差は、日本人以上にあるのだな、と感じた事もありましたが(笑)。しかし、トランプさんが大統領になってから、アメリカはこの建前を捨ててしまったようで、社会の断絶が大きくなっている事をアメリカの友人から聞くと、とても寂しい気がします。

2年間のMBAでの生活を無事終えて会社に戻り、その後シンガポールでの赴任生活を経て、結局転職する事になりますが、当初から転職するつもりだったわけでは全くなく、この2年間が私自身に与えたインパクトが大きかったのだな、と今更ながらに思います。次回は、その後の生活を、外資系と日系企業の文化や働き方の違い、などに触れながらお話しさせて頂きます。

執筆:田中伸一 

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